渡辺トシ子さん ありがとう!!

 渡辺さんが9月22日に亡くなられたと連絡が入ったのが、26日(土)の午後でした。丁度その頃が告別式だったようです。ご本人の強い希望で、どなたにも連絡せず身内だけのお別れをなさったそうです。

 相模原協同病院の患者さんはもとより、私もそのひとりですが、神奈川支部の会員の方の中には、渡辺さんに勇気付けられ、元気付けられた方が数多くいらっしゃると思います。
 ご自身が次々と出来るがんと戦いながら、放射線治療や抗がん剤治療を続けている身にもかかわらず、オストメイト仲間の心配をしたり、アドバイスをしたり、障害者の支援活動にもかなり携わっていらっしゃったようです。レースでのかわいらしいパウチカバーを考案したり、腰痛ベルトでヘルニアベルトを考案したり、画用紙でバラの花を作ったりと・・・とても多彩な方でもありました。画用紙で作ったバラは、AOA大会で好評でした。

 又、一泊研修の女性の会、研修旅行、相談会には「出席してみんなの顔を見ると元気が出る」と精力的に参加してくださっていました。那須・塩原温泉、伊豆の土肥温泉、裏磐梯と、とても楽しい研修旅行が思い出されます。ウィスキーやワインの差し入れをしていただいて、車中の雰囲気が和やかだったのも懐かしく思います。

 私が渡辺さんと初めて会ったのが、3年半前のオストメイト厚木相談会でした。その時に声をかけさせていただいたのがきっかけでしたが、そのときはちょうど「うつ」の状態だったそうです。その時に入会してくださいました。会に入会して元気な会員さんに会うことで「うつ」も解消されていったと聞きました。
また、個人的にも、短い期間でしたが昔からの友人の如くお付き合いをさせていただきました。

 上高地にK会員と3人で夜行バスの旅をしたときのこと、女性の会の一泊研修の後、K会員のご主人に城ヶ島を一緒に案内してもらったときのこと、コンサートに行ったことなどなど走馬灯のように頭の中を駆け巡っています。昨年の年末は、抗がん剤治療を続けながらも「退院して、今金沢の兼六園にいるけど、雪が無くてね・・」などとメールで驚かされ、私も、2月には「雪の白川郷を期待してきたけど雪が無く残念!」などとメールのやり取りをしていました。
 今年の7月にも入院されていて、前々から予約していた7月30日出発のツアー旅行を断念したのかと思いきや、26日退院してご主人と旅行に出かけ、「吐き気止めの薬を飲みながらだけど、3日間の旅行で足を鍛えてくるよ」のメールをもらいビックリしました。「少しは食べられるようになったよ」「近いうちに会いたいね」とメールをもらい、8月9日にKさんご夫婦と、渡辺さん宅を訪ねました。手足のむくみがあり、やさしく触らないと痛いと言っていました。いつもソファーに横になったり座ったりの生活をしているともおっしゃっていましたが、その日は近くのお店に車で行き皆で昼食をとりました。渡辺さんも少しお赤飯を食べていました。渡辺さんの畑で楽しくブルーベリーを摘ませてもらったり、たくさんの野菜を頂いて帰りました。そのときは、まさかこんなに早くお別れのときが来るとは想像もしていませんでした。

 「この夏を越したい。越せればまた元気になれる。元気になる!」とおっしゃっていたのに・・・。渡辺さんを疲れさせたのでは・・・と心配しつつ、メールはしていたのですが、電話は遠慮していました。渡辺さんから最後に電話をもらったのが、12日(私が孫と北海道利尻・礼文鈍行列車の旅の車中)でした。車中のため長話も出来ず、9日のお礼と今、孫と北海道旅行に出発していることを告げ、お互い気をつけてね!という言葉が最後でした。その後は、旅行先で数回写真メールを送ったのですが、今回は返信が無く大変心配していました。渡辺さんとのたのしい思い出がたくさんあります。私は海外旅行をしたことが無いのですが、“スイスに一緒に行こう!”と、約束をしていたのに・・・・今は夢となってしまいました。彼女は、千の風になって先に行っているのかも知れませんね。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌
記:SS

前ページへ

更新日:2009年11月23日