大和相談会(大和市)
主  催 公益社団法人日本オストミー協会神奈川支部
日  時 平成26年 2月16日(日) 13時30分~16時30分
場  所 大和イオンモール
大和市下鶴間1-2-1
交  通 京浜急行三浦海岸駅下車 徒歩2分
相談員 大和徳洲会病院 皮膚・排泄ケア認定看護師 前田 智子様
展示会 有り
参加費 無し
相談会報告
今回の相談会は、目先を変えてオストメイト当事者の体験をテーマに会を進めました。
 初心者の方には、「オストメイトとしての理解を深め、生活の質の向上」を目指すきっかけにしてほしいと考え、又、経験の長い方々には、「ストーマや補装具の悩みに限らず、心豊かな生活を送る為に見つめなおす機会にしていただきたい」との趣旨のもと、コロ、ウロ、イレオから代表の方に発表してもらいました。
 さらに、これも新しい試みですが、会の途中にリラックスタイムを設け、会員の福島さんからヨガ体操を指導していただき、身体をほぐしました。
 後半のグループ懇談会には先回に引き続き、販売店、メーカーの方にも加わっていただき、話し合いました。
この新しい試みについては、検討しあい、深めていければ良いと思います。
1,「イレオストミー」支部会員の体験発表
 大腸の手術をして5年目になりますが、早くから潰瘍性大腸炎を患っていたせいか、医者からガン化したとの通告もさほど驚きはなかったです。むしろ家族の方が驚いたようです。手術前のそうした中で、病院の情報によるオストミー協会へ入会をしました。しかし、その間やはり、実地に体験しているオストミー協会の須田事務局長の励ましの言葉は有難く感謝しています。それ以後、自分の生き方に大きな変化が出て来たように思います。
 手術前にはなかった事ですが、新しくいただいた命のあるかぎり自分の出来ることを少しでも努力することかもしれないと思うようになりました。パウチの取り換えも慣れてきた中でも一年に何度かパウチの横から「便」が漏れるという事がありました。仕事、外出の時には幸いにもなかったのですが…。それ以後、ベルトの着用、周りにはテープを必ず貼るようにしています。又それ以降、用心のため、仕事に行く時、外出の時は、一揃い予備の装具を携帯することが安心だと思い実行しています。

2,「コロストミー」支部会員の体験発表
 2008年12月26日に東海大学の付属病院で大腸癌と宣告され手術をしたのですが、宣告を受け手術前後の気持ちの変化としては自分自身いろいろな体調変化がありましたので宣告された時は「やっぱりか!」手術前の気持ちとしては悪いものを取り出して早く良くなろう早く元気になろう、と言う気持ちでした
 検査結果直腸がんです、それも肛門の所から直腸のほうに癌組織があるので人工肛門になります!と宣言されました。
 パークゴルフと言うスポーツに誘われて南足柄へ行きました。天気も良く軽く汗ばむ陽気でしたのでパウチを着けてから4、5日経っていたのを忘れて出かけました。
皆さん想像の通り匂いがするなーと思いトイレに行ったら外れていました。
 仕事の関係上と家族との朝トイレの争奪戦に巻き込まれないように4時に起きて洗腸します、そのため9時頃には寝ますが、帰宅が遅くなり11時頃に寝た時翌朝4時に起きますがチョット眠いなーと思ったのですが頑張って起きて準備をしている時洗腸バッグにお湯を(40℃で2000㏄)入れてバッグをフックに掛け損ね床一面が水浸し慌てて拭いたのですが30分掛かりこの日は洗腸出来ませんでした。
この様に小さな失敗は沢山あります。皆さんも注意してくださいね。
 私が洗腸するきっかけとなったのは、私が大腸がんと宣告され手術をする何年か前に俳優の渡哲也さんが手術をして人工肛門になり、仕事柄自然排便では不都合なので洗腸という方法で排便します。こんな事をテレビで発表してずいぶん前向きに捕らえ頑張る姿を見て感動しました。このときは自分が同じ事に成るとは思ってもみなかったです。

 自分は汗かきなので夏場に面板が剥がれ易くなります、そこで夏場はコロプラスト、冬場はホリスターを使うことにしました。特徴としてコロプラストは汗を吸うと白くなり溶け出します。(限度が分かりやすい)ホリスターはちょっと白っぽくなりますが溶ける事無く剥がれ落ちます。今は、
春夏はコロプラスト、秋冬はホリスターに使い分けています。
3,「ウロストミー」支部会員の体験発表
 退職前で、62歳の頃でしたが、頻尿、排尿時の痛み、軽度な失禁に悩まされ、不快な日が続き、そんなある日、血尿が出て驚き、即、近くの海老名総合病院へ行き、内視鏡検査の結果、その場で膀胱がんと診断されました。 
  その後、膀胱の内壁を削り取り、BCG液の注入処置を受けました。一時回復しましたが、1年後に再発し、結局、左腎臓、左尿管、膀胱及び前立腺を全摘出する手術の事を言われ、もうこれしかないと、全摘出手術を受けて尿管皮膚瘻のオストメイトになりました。
  手術時は63歳で、仕事の終え方を含めて気持ちの整理が出来ておらず、入院中、これからの生活の在り方が見えず不安で一杯でした。退院後、体力の非常な低下は如何ともし難いものがあり、無念ですが、もはやこれまでと退職の意を決め固めました。
 退職から半年ほどは、新たな生活を見いだせず、気力も萎えて、無目的な生活になり始めていた時に、妻が或るチラシを見つけて、「お父さん、この話を聞きに行かない?」と誘ってくれたのですが、余り気乗りせず、渋々出掛けた記憶があります。それが、丁度、2年前のこの大和相談会でした。その会場できびきびと動き回られる役員の方や元気な会員の方を目の当たりにして、これが同じオストメイトなのかと本当にびっくりしました。これではイカンと自分自身に鞭を打ちました。その場で、神奈川支部に入会させてもらいました。
  私たちウロストミーは夜寝る時は、パウチと蓄尿袋をチューブで繋ぎますが、寝返り等ごそごそしますので、連結部が外れて、尿でびしょびしょに時々見舞われます。そのことを厚木のHさんに相談したところ、古川さん、チューブの回し方が問題なんだよ、パウチから両脚の外側ではなく内側に通すの。内側を通せば、寝返りをしても体の中心部にチューブがあるので、ここで回転するだけでしょう。わかる!
これはお見事で、問題は解決しました。

◎コログループの懇談
 今抱えている問題についてご相談があり、看護師さんに入って頂き相談されました。パウチの穴が楕円であり、70ミリとかなり大きく漏れがあり悩んでいるとの事でした。
 対策として、固定ベルトで腹帯を固定し面板の周りを防水テープで止める事くらいしかないとの事でした。パウチの交換について、朝交換する人が多く、大腸が活発になる前に交換されているそうです。
◎ウログループの懇談
 例えば、面板を剥がす場合、お湯を掛ければ容易に剥がせるので、剥離剤は使用していないとのことでした。これに対して、皮膚は層状を成しており、面板をそのまま剥がすと僅かだが皮膚層が剥がれる(傷める)。ストーマ周辺の皮膚は一生大事に使わなければならないので、剥離剤を使って優しく丁寧に剥がす方が良いとアドバイスされた。そのやりとり聞いてアルケアの方が、皮膚に優しい保護剤の新製品(サンプル)を提示して下さいました。
 装具交換の間隔は、よく分からないので、皆さんどのようにしえいるのでしょうか?これに対して、装具のカタログに基本的な装着日数が記載されているので、装具の傷み具合を確かめながら徐々に使用できる日数を探って行かないと危険です。一度に伸ばさないことです。皮膚を傷めたらそれこそアフターケアが大変です。
◎イレグループの懇談
 昭和40年(34才)潰瘍性大腸炎と診断され、41年に1回目の手術、そして45年についに大腸・直腸を切除しイレオストミーとなりました。
 現在83才術後44年、これほど長生き出来るとは夢にも思っておりませんでした。
当時はアフターケアが今のようには開発されておらず、イレオの私は途方に暮れ、皮膚の荒れの痛さで泣きましたね。そんな時付き添いさんの発案でコンドームの突き出し部分を切除し、ストーマに被せてみてはとのことで藁をもつかむ思いでやってみました。今もその方法で「石田式バンド」を使用しております。失敗が多いのであまり人様にはお勧めできませんが、私は私なりの工夫を重ねて人間として生まれて良かった、工夫する考える力を与えられているからと……。
 日本オストミー協会の前身、互療会の時会員になりました。泣いてばかりいた私でしたが私よりもっと苦しんでおられる方が明るくしておられるのを見てどんなにか励まされましたことか。
 退院の時、婦長さんが「星さん、貴女のお腹の赤ちゃん、可愛い赤ちゃん(ストーマのこと)一生大事にしてあげてね」と……。その言葉の重みをいまだに感じ持ちつづけています。
 海外旅行も人との交わりも体のことをオープンにして楽しく過ごさせていただきました。
 オストミー協会の皆様のご努力のおかげで今日があることに心から感謝しております。ありがとうございました。

この日は記録的な大雪の後で交通手段もままならず、歩行も困難な中で、参加者が少なかったのはいたしかたのない事でした。そんな中、ご協力いただいた方々、本当にご苦労様でした。
 会場を貸して下さったイオンモール(株)様にも大変お世話になりました。

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更新日:2014年 6月30日